今日は何の日2023年(令和5年)6月17日(土)~版籍奉還、姫路と神戸~

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「1869(明治2)年、薩摩、長州、土佐、肥前4藩主の建白で、40の藩が領地と領民を朝廷に返納。残りの諸藩も、6月25日までに返納が許された。以後、日本は新政府のもと、中央集権国家へ変わっていくことになる。

前年、すでに姫路藩主酒井忠邦が同様の建白書を提出していたが、薩長4藩の建議書提出が優先された。」2023年(令和5年)6月17日(土)神戸新聞今日は何の日ひょうご版より引用。

へぇー、姫路藩主が版籍奉還の建白書を前年に出していたにも関わらず、後から出した薩長土肥が優先され、歴史の教科書いや学校の教科書には薩長土肥が出て姫路藩は出てこないんだものなぁ。

なんか釈然としないなぁ。ひょっとしたら姫路が版籍奉還を主導していたんじゃないのか?

それと、明治になって藩から県になっていくんだけど、

姫路県はないんよね。最初は飾磨県ができてそれが兵庫県に含まれていくの。

江戸の終わり明治の初めは姫路こそが大都市だったと思うけど、なんで兵庫県に吸収されていったのだろうか。

そして県庁は姫路ではなく神戸に設置されたのはなぜ?その当時の神戸は村で、明らかに姫路が大都市だったにも関わらず。

県名県庁は姫路か兵庫(神戸か)、大論争があったに違いない。それを切り捨て、大久保利通の一存で決まったと聞いたことがあるが、ほんとにそうなのか。

ひょっとしたら今の兵庫県は姫路県と兵庫県の2つだったかもしれないのになぁ。などと頭の中で堂々巡りですが、

兵庫県の車のナンバーは神戸ナンバーと姫路ナンバーの2つなのです。

ナンバープレートに明治維新時の論争を収めた名残があるのかもしれないなぁ。

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